将とイゴのさんぽみち

自閉症の将と弟のイゴ、家族のこと

8月6日

今朝、テレビの黙祷に合わせてわたしも黙祷をしました。


子どもたち、意味が分からなくても何か感じるところがあるのでしょう。


じっとテレビを見てわたしの様子を伺っていました。


黙祷が終わって、

将に何と説明するか…


でもわたしも経験のしたことのない戦争です。

将とわたしに何の違いがあるのでしょう。


「将、73年前に核兵器でヒロシマの人が

たくさん死んでしまったんだよ。」

「お母さん、だからお祈りしたの」


そう伝えると、将は


「アツくて ミンナ シンジャッタ。」


とわたしに言ったのです。


わたしはその言葉に体を貫かれたような気持ちで

「それは そう、その通りなんよ…」

と答えるしかありませんでした。


将は一つのルールに従って

原因と結果を繋ぐ傾向があります。


冬の間、ニュースで

スリップが原因の車の事故が印象深かったのか、

さまざまな事件や事故が

「寒かったから」

起こったことだと ずっとわたしに説明してきました。


この夏、あまりに暑くても

(道に捨ててあるゴミを見て)

「寒かったからゴミが捨ててある」

と言うので、


お父さんも「将に起こる現象は全部

寒かったから、なんだなあ」

「むしろ暑いんだけどなあ」


と話をしていたところでした。


複雑なことは 将は理解できないと

わたしは思ってしまうのだけれど、


本当は説明する語彙を持たないだけで

わたしより分かっているのでしょうか。



昨日、主人が長期出張へ出かけて行ったのですが、

将もイゴも「今生の別れ」くらいの勢いで玄関まで主人を追って駆けて行きました。


トランクに荷物を詰めて

出張と言われれば

根明のイゴでさえ感ずることがあったのでしょう。


ありがたいことに来週お盆を挟むので

一旦帰ってきてくれますが、

それ以降は9月中旬までの長い出張となります。


お父さんが出て行って2人

可愛いお猿の兄弟のように

身を寄せ合って泣いているのですが、


わたしもかける言葉もなく、

ただ途方にくれて泣いてしまいました。


でも、これが戦時中の徴兵だったら??



わたしは子どもが生まれるまでは、

戦争の時代に生きた人々は


わたしと違う、強いメンタルを持った

わたしと違う人間だと思ってきました。


そう思わないと恐ろしかったからです。



子どもを産んで母親になって、

初めて

戦時中の親とわたしとは

子の幸せを思う気持ちは何も違わないのではないかと気がついたのです。


今朝の将の

言葉、ただその通りだと思いました。


みんなが熱くて亡くなってしまったんです。

ただ恐ろしいことだと思います。




そして(話の流れとは違いますが)

わたしの主人、変わってると思います🤫…。


水場に 子どもを残したら、

一瞬でもどれだけ危ないことか

わたしが言わなくても分かってほしい。(「夫婦冷たい戦争の歌」参照…)


そのほか、命の危険があるようなことも逐一説明しないと理解できません。


わたしが出たマラソン大会で、

将が泣きながら逆走していたことが

ありました…。


たまたま周回コースだったから

わたしが将を抱っこして、近くのエイドステーションまで走って行ったのですが、

イゴはベビーカーにいたから

将だけを気をつけて見ていてくれたら

起こらないことと思っても、

主人には通じません。


事故がなくて本当に良かったのですが、

本当に困ることは多いのです…。



それでも主人がいなかったら…

本当にわたしは途方にくれるしかありません。


そして日常を奪い去るような出来事が起こった73年前の8月6日、


将やイゴのような

子どもたちも、

その母親も、

そのほかみんなが熱くて亡くなってしまったことを、


今日は深く考えるきっかけとなりました。


主人が長期出張で気弱になっていましたが、

まだまだわたしは

平和を願って

そして頑張ってみようと思います。