将とイゴのさんぽみち

自閉症の将と弟のイゴ、家族のこと

鮒寿司のごはん

主人の出張に涙したわたしですが、

すっかり主人のいないペースに慣れてしまいました。


ご飯も一品少なくてもいいし(将はいつも残すし、イゴは一品少なくても

おかずを多めに出せばよい…🤡👌)


朝もお弁当を詰める必要なし、

遅めに起きられます。

(将の学校がある場合、

冷凍枝豆にプチトマト、卵焼きと何かを詰めるだけで簡単です)


子供たちと一緒に寝てしまってもいいので(晩に帰ってくる主人にご飯を出す必要がない)

晩御飯の用意をしながら最近は飲み出すしまつです🍺


もちろん夜更かしするでもいいし、

少し好きなように生活しすぎたでしょうか…。


顔がむくんだ気もします。


気持ちもむくんでしまい、

一旦お盆に帰ってくる主人を思うと


…😞


…😗


…😑


ちゃんとせな…😩


「お父さん、みんなのために

ありがとう😬✨」



そんなわたしの生活に彩りを添えてくれたのがしゅうちゃん。


イゴを預かってくれたしゅうちゃん、

とってもお料理上手です。


鮒寿司をご自宅でつけちゃうくらいです。


そのため、将に「今日はしゅうちゃんちに行こう」

と言うと、「しゅうちゃんの玄関はクサイ…」(鮒寿司の匂い)と言うのですが、

わたしはしゅうちゃん家に行くと、

いつもいい匂いがして幸せです。


主人の出張中、「作り過ぎた」と持たせてくれたおかずがお酒に合い、

主人にメールしました。


わたしはなんでもビールに合わせますがしゅうちゃんが作るご飯はとにかくお酒に合うものばかり。

(ちなみに彼女はアルコールを飲みません。)


今のわたしのすきなお酒の肴は

「鮒寿司のごはん」

です。


鮒寿司はごはんに漬けて発酵させるそうなのですが

漬けたごはんは本当は食べずに捨てるものらしいです。


しゅうちゃんがわたしは好きそうと持たせてくれたのですが、

これがまたすごく美味しい↓


発酵食品だからかチーズを連想させる匂いがあって

山椒の香りが日本酒をさらに美味しくさせる最高の味です🍶


将は一口食べて

その後一生懸命牛乳を飲みくだしていました🥛🤢💦


大きくなってこの味が分かるようになったら一緒にお酒を飲もうねー🤤🍶

バック トゥ ザ 「あの時」

今日は、将は 発達支援学校へ行き、

イゴはお友だちのしゅうちゃんに

預かってもらい、集中して家事をしました😊


将の発達支援の学校は今日で2回目。

(夏休みの期間利用して、将が好きなら

2学期からも月に何回か利用しようと思っています。)


1回目の時は将を見送った後、

わたしは1日寝てしまいました。


イゴには本当に申し訳なかったけれど、

確か将がイゴと同じ年齢の時は

イゴの出産後で 結構家で寝てたし…

と開き直ってとにかく寝ました。


今日はイゴはしゅうちゃんにお願いして家事を💪✨


破格の値段(ボランティア価格です)で

3時間。

とにかく家事であっても1人の時間、リフレッシュできました🤤


本当にありがたいことです。


今 将と心が通い合わずしんどい思いはしますが、

思い返せば2年前の今頃

夜中の授乳で寝られない時が1番辛かったなぁ。


睡眠って大事ですよね。


寝られない辛さってなんとも言い難い辛さだと思います。


その時のことを思い出してみました。⬇️




今 いろんな方の協力あって、

本当にありがたいです。


夜中の授乳をされてるお母さんたち、

本当にえらいと思います!!

8月6日

今朝、テレビの黙祷に合わせてわたしも黙祷をしました。


子どもたち、意味が分からなくても何か感じるところがあるのでしょう。


じっとテレビを見てわたしの様子を伺っていました。


黙祷が終わって、

将に何と説明するか…


でもわたしも経験のしたことのない戦争です。

将とわたしに何の違いがあるのでしょう。


「将、73年前に核兵器でヒロシマの人が

たくさん死んでしまったんだよ。」

「お母さん、だからお祈りしたの」


そう伝えると、将は


「アツくて ミンナ シンジャッタ。」


とわたしに言ったのです。


わたしはその言葉に体を貫かれたような気持ちで

「それは そう、その通りなんよ…」

と答えるしかありませんでした。


将は一つのルールに従って

原因と結果を繋ぐ傾向があります。


冬の間、ニュースで

スリップが原因の車の事故が印象深かったのか、

さまざまな事件や事故が

「寒かったから」

起こったことだと ずっとわたしに説明してきました。


この夏、あまりに暑くても

(道に捨ててあるゴミを見て)

「寒かったからゴミが捨ててある」

と言うので、


お父さんも「将に起こる現象は全部

寒かったから、なんだなあ」

「むしろ暑いんだけどなあ」


と話をしていたところでした。


複雑なことは 将は理解できないと

わたしは思ってしまうのだけれど、


本当は説明する語彙を持たないだけで

わたしより分かっているのでしょうか。



昨日、主人が長期出張へ出かけて行ったのですが、

将もイゴも「今生の別れ」くらいの勢いで玄関まで主人を追って駆けて行きました。


トランクに荷物を詰めて

出張と言われれば

根明のイゴでさえ感ずることがあったのでしょう。


ありがたいことに来週お盆を挟むので

一旦帰ってきてくれますが、

それ以降は9月中旬までの長い出張となります。


お父さんが出て行って2人

可愛いお猿の兄弟のように

身を寄せ合って泣いているのですが、


わたしもかける言葉もなく、

ただ途方にくれて泣いてしまいました。


でも、これが戦時中の徴兵だったら??



わたしは子どもが生まれるまでは、

戦争の時代に生きた人々は


わたしと違う、強いメンタルを持った

わたしと違う人間だと思ってきました。


そう思わないと恐ろしかったからです。



子どもを産んで母親になって、

初めて

戦時中の親とわたしとは

子の幸せを思う気持ちは何も違わないのではないかと気がついたのです。


今朝の将の

言葉、ただその通りだと思いました。


みんなが熱くて亡くなってしまったんです。

ただ恐ろしいことだと思います。




そして(話の流れとは違いますが)

わたしの主人、変わってると思います🤫…。


水場に 子どもを残したら、

一瞬でもどれだけ危ないことか

わたしが言わなくても分かってほしい。(「夫婦冷たい戦争の歌」参照…)


そのほか、命の危険があるようなことも逐一説明しないと理解できません。


わたしが出たマラソン大会で、

将が泣きながら逆走していたことが

ありました…。


たまたま周回コースだったから

わたしが将を抱っこして、近くのエイドステーションまで走って行ったのですが、

イゴはベビーカーにいたから

将だけを気をつけて見ていてくれたら

起こらないことと思っても、

主人には通じません。


事故がなくて本当に良かったのですが、

本当に困ることは多いのです…。



それでも主人がいなかったら…

本当にわたしは途方にくれるしかありません。


そして日常を奪い去るような出来事が起こった73年前の8月6日、


将やイゴのような

子どもたちも、

その母親も、

そのほかみんなが熱くて亡くなってしまったことを、


今日は深く考えるきっかけとなりました。


主人が長期出張で気弱になっていましたが、

まだまだわたしは

平和を願って

そして頑張ってみようと思います。